平成13年4月10日から番目のお客様です

名簿小説よりなり

「人探し110番」の本当にあった話


第一話 苗字も名前も知らない人を名簿で探した

          
 その日は特別の仕事があって、普段より遅くまで残っていた。7時を大分廻ったころ、電話のベルが鳴った。

 「もしもし、ちょっとお尋ねしますが、名簿図書館では人探しもやってくれますか?」
 私は尋ねた。「お名前はなんとおっしゃるのですか」
 「それが分からないのです」と途端にしょげた声に変わった」
 「では、苗字も名前も全然分からないのですか?それではまるっきり探しようがないですね」と私はやや突き放した口調になっていた。

 すると,その若い男は「その人は多摩美大のデザイン科に通っている女子大生なんです」
 「しかし、そんなことが分かっていても、肝心の苗字が分からないと、探しようがないですね」と、あわや電話を切ろうとすると―

 「いや、ちょっと待ってくださいよ、その女子大生は浦和から通っているのですから、多摩美の在校生名簿からデザイン科にターゲットをしぼり、さらに浦和に住んでいる人を探せば分かるはずですよ」と理路整然と私を説得するではありませんか。
 
 そう言われてみると、なるほどごもっともな説。すぐさま閲覧室にある、多摩美の在校生名簿を調べてみると…

 まさしくそこに尋ね人がいるではないか.1人,2人、3人と該当者は合計3人もいたのである。もちろん3人とも苗字も名前も違っていた。だがそこまで分かれば、ご本人にとっては目的を達したも同然。

 翌日、銀行に問い合わせてみると、朝一番に入金されていたようで、こちらもすぐさま速達で、そのリストを送ったことはいうまでもない。

                      

第二話 人に嫌われる音楽家の下宿を探した


 
 2月頃、静岡からといって、あるご婦人が見えた。
 「ちょっと伺いますが、音大の今年卒業する人の名簿がありますか?」
 いきなり、そのように尋ねられて,受付嬢は一瞬、「えッ…」と聞き返した。相手のご婦人は、少しためらうようにして答えた。
 「実は、今度、うちの娘が音大に進むものですから、その下宿探しに今日お訪ねしたのです」
 さらに続けて、「もし、あれば、その中から東横沿線の方を選び、ぜひ、その後釜にお願いできればと思っているんです」
 そういえば、ピアノがうるさいからといって殺人まである昨今である。
 音楽家の卵という難しい条件の下宿探しに、こんな名簿の使い方があるのかと、後で一同、大いに感心した。
                     

第三話 貰えなかった軍人恩給の証人を発見


 
 名簿というものは、新刊が出れば古い方から捨てていく。従って、いざ昔のことを調べようとすると、意外と骨が折れるものだ。

 500万冊の蔵書を誇る国会図書館でも、こと名簿となると、しかも昔のものになると、さっぱりで、大抵そんな場合、お客さんをこちらに回してくる。

 ある日のこと、お年寄りのご婦人が見えた。なんとなく尋ねあぐねている様子なので,こちらから声をかけてみた。
 
 「なにかお探しですか?」
 「えー、軍人恩給を貰おうと思っているんですが、昔の同僚で証人になってくださる方がいらっしゃらないため、今まで貰えなかったんです。ところが先日、テレビでお宅のことを拝見し、もしやと思ってお邪魔しました」

 「どんな名簿ですか?」
 「昔の同僚のなかに弁護士の方がいらっしゃると主人が申しますもので、もしやお宅に弁護士の古い名簿でもあればあるいは…」

 そうなればコトはカンタン。館内の書棚から昭和30年版の「日本弁護士大観」を探し出すのに、ものの2分とかからなかった。

 …それから1ヶ月ほど経って,そのご婦人が手土産を持ってお礼にみえたが、古い名簿が思わぬお役にたって、名簿図書館も面目を施すことができたというわけ。



第四話 実に半世紀振りに消息が判った


 
 
 以下にご紹介するのは,戦中途絶えていた消息が当館の名簿調査で判明し、そのときのお礼状の一部です。原文のままお伝えしますと…

 前略 7月7日付けの待望のお返事嬉しくありがたく拝見いたしました。
 早速、その事に夢中でかまけております中、すっかり涼しくなってしまいました。礼状,おそくなり本当にすみませんでした。あしからずお許しくださいませ。

 またお骨折り、お探しくださいました石〇安〇(昭和1〇年〇〇〇中学)様に早速お便りし、その御尊母様家族方の消息が判り、こんな嬉しい事はありませんでした。

 実は大昔、まだその御尊母様が30歳をちょっと出たと思われる頃、その安〇様を頭に4人の小さいお子達を抱え,医師の未亡人となられて間もない大変な時期に、思いがけない私が上京して転がりこみ、それより音楽学校寄宿舎に入りますまで大変お世話になりました。

 それより戦争をはさみ、いつしか音信も途絶え、それより戦後昭和22年春やっと帰国し、早速。安〇様の〇〇〇中学出という記憶を唯一の手懸りに、数十年、ずっと探し尋ねてきましたが、依然ようとして判らず、また御尊母様は年を重ねられる一方だし、何とか御存命のうちに会って昔の御礼を申し述べたいと、それのみを願い気を揉んでおりました。

 そんな折,天の助けか、図らずもこの度,御館編集部の皆様方のおかげで、このように数十年(実に半世紀近い)振りに消息が判り、やっと間にあって本当に嬉しく夢のようで、何とお礼申してよいか判りません.遅ればせながら厚く厚くお礼申し上げます。またこのうえは再会できます事を念じております。本当にありがとうございました。

 末筆ながら、貴重な存在意義の深い御社名簿図書館の御発展と御一同様方の御健勝をはるかにお祈り申しあげます。                                                 かしこ

 

第五話 殺人事件の思わぬウラが隠されていた




 昭和61年12月16日のお昼少し前のこと。
 お巡りさんが2人連れで訪ねてきて、受付を通じて名刺が私のところへ回されてきた。見ると「上野公園下ホテル内、女性殺人事件捜査本部」のK部長とO部長となっている。

 いくら名簿が悪用されたからといって,殺人事件ともなるとことは面倒だ。途端に私はいやーな気持ちに襲われた。ところが両部長刑事に会って話を聞いてみると,意外な内容であった。
 
 加害者は若い大工で、殺されたのはソープランド嬢。

 二人が知り合ったのは銚子のソープランドで,大工は彼女のお馴染みさんであった。その若い大工は彼女に惚れて、随分と通いつめたようである。

 ところがある日、彼女は何の前触れもなく、突然、そのソープランドを辞めてしまったから、のぼせ上がっていた彼は,一瞬茫然自失となったことはいうまでもない。

 そんなとき彼は友人から、東京の新橋に名簿図書館というところがあって、いろんな名簿を揃えているから行ってみては、と言われたのである。そこで彼は、以前彼女から聞いたことのある、実名や年齢と実家が深川あたりということを頼りに、探してみようと思い名簿図書館にやってきた。

 そこで深川方面に住んでいる若い女性の名簿を片っ端から調べたようである。しかし彼に伝えていた実名も年齢も住所も全くデタラメだったので、いくら探したってあるはずはない。彼はがっかりしてその日は帰っていったが、その後も暇をみては度々上京し、あちらこちらと尋ね回ったようである、

 人間の執念は恐ろしいものである。そんなある日のことバッタリと上野で彼女に巡り会ったのである。そこで二人は上野公園下のホテルに入り、口論の末、カッとなった彼は、逆上して遂に彼女を殺害するに至った、と本人は素直に自供したそうである。

 そしていまは前非を悔いて、悲嘆に明け暮れているが、その態度はまことに純情そのもにで、どうしても殺人を犯す人間には見えない、と係官一同非常にこの犯人に同情的になってきた。

 そこでせめて情状酌量できるデータを少しでも集めて、という配慮から、彼が騙されていた証拠の一部として、名簿図書館にそのウラを取りに来たとのことである。

 そのきっかけとなったのは1枚の名簿図書館のレシート。彼の持ち物から出てきたので、以上のことが分かったそうである。

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